2012年08月19日

『放射線になんか、まけないぞ!』における「避難」の扱いについて

群馬大の先生、早川由紀夫さんが、「残留支援の本」と言われました。
これについて、編集ライターであるわたし個人の考えです。

私的な話になりますが、あの3月、わたしは福島県にいる親戚に、
「避難して」と言うかどうか、相当悩みました。

けっきょくわたしは、言いませんでした。
それでよかったと、いまは思っています。
テレビや新聞、ネットなど、避難を検討すべきとわかる程度の情報は
たくさんあったから、たまに会うレベルの親戚であるわたしが
口を出さなくてよかったと思うのです。

あとから、県外に住む次男坊・三男坊が、
何度も避難をうながしていたことも知りました。
それでも、彼らはそこに残ることを、選択したのです。
そんな彼らの選択を、わたしは尊重したいと思いました。

あの本も、わたしにとっては同じです。

あれは、昨年から今年にかけて山のように出版された
放射能関連本のうちの1冊で、書籍以外にも情報はあふれていました。
避難をうながす声は、ありすぎるほどあった。
みんな、悩んで、苦しんでいたと思います。
そのなかで、残ることを選んだ人たちを、応援したかった。
そういう位置づけになると思います。

先日、「早川さんみたいな人がいたから、あの本はあれでよかった」
とわたしたちが申し上げたのは、そういう意味です。
避難を検討すべきとわかる情報をいちはやく流された早川さんの功績は、
ほんとうに大きなものでした。

だから、先日版元の人が早川さんにお話したように
「残留支援」という言葉を「残ることを選んだ人を支援する」※という
意味でつかうなら、異論ありません。
が、それを「残ること(避難しないこと)を支援する」という意味で
つかうなら、ぜんぜん違うわけです。


残ることを選んだ人を支援することが、避難を妨げることになるのか否か?

それは、ぜんぜん別のことでしょう。
残る人も応援するし、避難する人も応援する。それがわたしらのスタンスです。

ただ、見方によっては、相反する部分もあるかな、とは思います。
少なくともわたしたちはそういうつもりであの本をつくっていませんが、
それをどう見るかは、見る人それぞれの判断に、ゆだねたいと思います。



<訂正1>
以前わたしはこういうツイートをしました。
「あの本をつくりはじめたころ、これに関わるからにはわたしはもう後々
『だからあのとき避難しろって言ったのに』と言えない人になる覚悟をした」
これは不正確な表現でした。

これは、わたし自身が
「自分の福島の親戚に対して『避難して』と言わない決意をした」
ということであって(そのころまでまだ迷いがありました)、
それを、あの本にかかわることで、決意できたということでした。
あるいは、それを決意するために、あの企画を版元にもっていった。
だから、あの本が避難について触れないこととは、別の話です。
訂正しておきます。

<訂正2>
同じツイートで、わたしはこう書きました。
「残りたい人を応援するというのは、避難を促すことと相反する部分もあるわけで」
これは、そういう見方もできる、という意味でした。訂正・補足しておきます。

<ご参考>
今年の1月、二本松市の幼稚園の保護者の方たちに、お話をうかがってきました。
そのまとめです→ http://aiueoeuia.seesaa.net/article/249653039.html

・・・
※福島県には親戚がたくさんいます。
ここに書いた親戚は、↑の幼稚園のお寺さんとはまた別です。
posted by れ at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | しごと系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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